フジテレビ系列『ジャンクSPORTS』では「困難を乗り越え戦う不屈のアスリート達」と題して選手、指導者として女子ジャンプ界の第一人者として牽引してきた現在、ジャンプ女子日本代表のコーチと高梨沙羅さんのパーソナルコーチを務める現役引退までは女王と呼ばれていた山田いずみさんが出演です。
2010年4月8日に高校時代の同級生で一般男性と結婚して長男・颯羅(そら)ちゃんを出産して2014年2月16日の『情熱大陸』の出演で美人と話題になり、フリーペーパー「美翔女」の編集長としても活動して現役時代は国内で敵なしだった山田いずみさんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。
山田いずみ女子スキージャンプの認知度向上を目指すパイオニア(現役~引退)
幼稚園の時に近所の友だちに誘われて札幌ジャンプスポーツ少年団の練習を見に行って荒井山ジャンプ競技場を飛ぶ姿が格好良かったことがきっかけで山田いずみさんは入団を決意。
小学校1年生で初めて最初は怖くて泣きながらもジャンプ台を飛んでから「飛ぶ」ことの楽しさに目覚めてのめり込んでいきました。
しかし、山田いずみさんがジャンプを始めた当時は、まだまだ女子ジャンパーが珍しかった時代だったため、札幌ジャンプスポーツ少年団には3人の女の子いましたが、中学生になった頃には山田いずみさんだけになっていました。
理由は、女子ジャンパーの競技人口の少なさから女子ジャンパー大会が開催されることがほぼなく、男子に混じって参加するものの出場できるのは年間数試合と少なく、中体連にも高体連にも出場はできませんでした。
13歳の時に長野県の大会で初めて女子の部が創設され、出場選手は山田いずみさんのみで表彰式では優勝メダルではなく、ティアラをかぶらされたようです。恥ずかしかったと当時のことを番組内で語っていました。
北海道女子短期大学(現・北翔大学短期大学部)卒業の頃には、女子スキージャンプの国際試合が開催されるようになり、山田いずみさんに中で「世界のトップに立ちたい」という新たな夢が芽生えるようになりました。
しかし、短大卒業してから大学の職員を経て5年間所属した国内女子初の株式会社ロイズコンフェクトの企業チーム「ロイズスキー部」が廃部になり、国内に敵無しで女王と呼ばれる戦績を持っていても次の所属先が決まったのは半年後だった。
アスリートの視力矯正手術を北海道にも広めたい意図のあった神戸クリニック(現・神戸神奈川アイクリニック)に2007年8月4日に所属が決定し、同月の28日に札幌でフライングガールズというチーム名を発表。
2007年秋の大会で転倒で肝臓損傷という全治半年の大怪我を負いましたが、医師と転ばないことを条件に2カ月半後の大会に復帰して見事優勝を果たしている。
2008年夏、短大卒業から9年目にオーストリアで開催された当時最高峰の大会「FISスキージャンプ・コンチネンタルカップレディース」で日本選手初の優勝で世界の頂点に立ちました。
翌年の2009年、チェコ・リベレツで開催された史上初めての女子スキージャンプのノルディックスキー世界選手権に出場しましたが、山田いずみさんにとって悲願の大会という思いが強すぎたことがプレッシャーとなって25位と惨敗でした。
2009年3月5日、新聞報道に先駆けて自らのブログでこのシーズン限りでの現役引退を発表し、同3月21日、大倉山ジャンプ競技場で開催された伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会に出場して現役最後の試合を優勝で飾った。
山田いずみの結婚した旦那や子どもは?
WIKIPEDIAより詳しい?山田いずみのプロフィールと経歴・学歴
出典:https://belcant0.com
名前 (読み方) |
山田 いずみ (やまだ いずみ) |
本名 (読み方) |
氏家 いずみ (うじいえ いずみ) |
生年月日 | 1978年8月28日 |
出身地 | 北海道札幌市 |
血液型 | ??型 |
身長 | 161cm |
体重 | ??kg |
スリーサイズ | B?? W?? H?? |
カップサイズ | ?? |
出身高校 | 北海道小樽工業高等学校 |
出身大学 | 北海道女子短期大学 (現・北翔大学短期大学部) |
職業 |
|
SNS・ブログ | |
ホームページ | |
Facebook |
https://www.facebook.com/ izumi.yamada.39589 |
Twitter ツイッター |
@IzumiSkijump (https://twitter.com/izumiskijump) |
ブログ | 山田いずみオフィシャルブログ 「いっちはできる子」 (https://ameblo.jp/izumidaruma) |
Instagram インスタグラム |
1984年
小学1年生から男子と混ざってスキージャンプを始める
1990年
日本女子初のノーマルヒル飛行(中学1年生の時)
1994年
北海道小樽工業高等学校へ進学
1995年
日本女子初ラージヒル飛行(高校2年生の時)
1997年
北海道女子短期大学(のちに北翔大学短期大学部へ改称)へ進学
インカレで史上初の女子ジャンパーとして参加(公開飛行として)
1998年
史上初となる国際シリーズに高校の後輩の葛西賀子さんと共に参戦
2002年~2007年
ロイズコンフェクトへ所属して同社初のジャンプ選手として活躍
2007年8月4日
神戸クリニック(現・神戸神奈川アイクリニック)への所属変更
2008年
国際大会(コンチネンタルカップ)で日本人初優勝
2009年
チェコ・リベレツで開催されたノルディックスキー世界選手権(史上初めて女子ジャンプ)に出場
2009年3月21日
現役引退
2010年4月8日
高校時代の同級生と結婚
2011年8月
第一子「長男・颯羅(そら)ちゃん」誕生
2013年
女性初の全日本スキー連盟コーチに就任
高梨沙羅選手のパーソナルコーチに就任
2014年
ソチオリンピック代表コーチとして参加