フジテレビ系列『アウト×デラックス』では、あまりのこわもてぶりに山里亮太さんとマツコ・デラックスさんが思わず起立してしまった”見た目と趣味が合っていない競輪界のBOSS”として競輪選手として20年以上第一線で活躍し、現在は引退している元競輪選手・後閑信一さんが出演です。
引退した現在も強靱な肉体を維持して蝶野正洋さんに憧れてヒゲや髪形全てをまねして、動物やスイーツが大好きで満面の笑顔が花咲くかわいい乙女な一面も見せたり、矢部みほ宅で現役競輪選手との合コンを敢行した生涯獲得賞金12億6000万円超えの後閑信一さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。
アウト感というよりもアウトレイジ感が半端ない雰囲気を持っている後閑信一さんは、名実とともに基準を満たした者に入会許可を与えられる日本名輪会会員に属し、現在は、スポーツ報知専属評論家として活動しています。
見た目は、強面の後閑信一さんですが番組内で動物やスイーツなことから苦すぎるスイーツ事件やカルピスの原液が大好きだったり、家庭菜園に夢中などギャップが可愛すぎるエピソードが飛び交いました。
また、東京都世田谷区池尻にある矢部みほさんが経営しているYABEKEで合コンを開催し、郡司浩平選手、堀内俊介選手、簗田一輝選手の2018年の年収(賞金)についてもリサーチしてみたいと思います。
WIKIPEDIAより詳しい?後閑信一のプロフィールと経歴・学歴
出典:
名前 (読み方) |
後閑 信一 (ごかん しんいち) |
愛称 | ボス |
生年月日 | 1970年5月2日 |
出身地 | 群馬県前橋市 |
血液型 | B型 |
身長 | 176cm |
体重 | 93kg(時期不詳) |
出身高校 | 前橋育英高等学校 |
出身学校 | 日本競輪学校(65期生) |
趣味 | 日サロ |
SNS・ブログ | |
ホームページ | |
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Twitter ツイッター |
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ブログ | 後閑信一 – 東京オーヴァル京王閣 |
Instagram インスタグラム |
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チーム情報 | |
所属 | 日本競輪選手会東京支部 |
期別 | 65期 |
特徴 | 先行・捲り・追込・最強の自在型 |
選手登録番号 | 12172 |
師匠 | 新谷隆広 |
備考 | 2017年12月27日に引退 |
東京・65期S級1班だった後閑信一さんは、2013年(43歳)にG1「オールスター競輪」を制するも怪我に悩まされ続けて満足いく結果を残せなくなり、「気持ちがついていかなくなってきた」事から2017年12月27日に引退している。
並のS級選手だと成績は、悪くはないのですが、最年長優勝記録を自力でつかみ取ることを目標していた後閑信一さんは、優勝するつもりで臨んだ2014年の寛仁親王牌で競走中に落車してドクターヘリで新潟市内の病院に運ばれている。
その結果、鎖骨と肋骨6本骨折に加えて肺気胸が見つかり、集中治療室に運ばれて生命の危険もありました。
退院しても数ヶ月は横になって寝ることができず、自宅リビングのソファに座ったまま寝る生活をしていたことをスポーツ報知のインタビューで明かしていました。
その後も、首を痛めてからは手がしびれるようになった後閑信一さんは、このままの状態では車券を買ってくれるファンに申し訳ない事、体が反応しなくなったことで最高のパフォーマンスができなくなったことを理由に引退を決意したそうです。
【京王閣】後閑信一引退セレモニー
後閑信一の通算成績
- 後閑信一の初出場
1990年04月07日 - 後閑信一の初勝利
B級 1990年4月9日
A級 1990年8月21日
S級 1991年4月7日
特別競輪 1992年9月27日 - 後閑信一の初優勝
B級 1990年4月9日
A級 1990年8月21日
S級 1991年6月1日
特別競輪 2005年1月30日 - 後閑信一の通算成績
出走数 2,158回
優勝 79回
1着 551回
2着 311回
3着 255回
着外 997回
棄権 25回
失格 23回
後閑信一の特別競輪出走履歴
- 共同通信社杯
- オールスター競輪
- サマーナイトフェスティバル
- 日本選手権競輪
- ウィナーズカップ
- 共同通信社杯
- オールスター競輪
- サマーナイトフェスティバル
- 高松宮記念杯競輪
- 日本選手権競輪
後閑信一の通算獲得賞金
12億6420万4933円