2016年8月23日、TBS『マツコの知らない世界』では「マツコの知らない地サイダーの世界」をテーマに地域おこし、地元の名水や農産物とのコラボで地サイダーも一大ブームになり、現在では全国で約650以上のサイダーが存在するうちの400種類制覇したサイダーの神に愛された女 清水りょうこさんが出演です。
100年以上変わらぬ味・地サイダーを語る上で欠かせないレジェンドサイダーや味を徹底再現した変わり種サイダー、ある物を足すとデザートに早変わりするレシピなど清水りょうこさんがオススメ夏の風物詩のサイダー8種類を含めて当たり障りなく紹介してみたいと思います。
Wikiより詳しい?清水りょうこのプロフィール
出典:http://www.yenishi.com/
名前:清水 りょうこ(しみず りょうこ)
生年月日:1964年10月24日
出身地:東京都港区
職業:清涼飲料水評論家
Twitter(ツイッター):@mazuju
ブログ:Drink Me! 清涼飲料水評論家の清水りょうこが、今日はなに飲んだか、大公開!
サイト①:清水りょうこのアレやコレ屋 清涼飲料水以外のことで気になったアレやコレについて、つぶやいたり、ぶーたれたり、ささやいたりたりしてみるつもり。
サイト②:清水りょうこのジュース大好き♡
著書
2016年7月7日発売 「日本懐かしジュース大全」(辰巳出版)
出典:https://www.kinokuniya.co.jp/
2016年2月12日発売 「懐かしの地サイダー」
幼かった頃に親とよく旅行をしていたようで、暮らしているところにないジュースを見かけては凄く興味を持っていたそうです。
※清水りょうこさん曰く、もともと缶ジュースや自動販売機に興味を持っていたそうです
大学生時代にはコラムニスト・泉麻人さんが連載していた昔懐かしいお菓子を紹介する「お菓子屋 ケンタ」というコラムを毎回楽しく読みながら
「ジュースでも、こういうことができるかも!」
と、大学卒業後は出版業界を考えていた清水りょうさんは、編集プロダクションに勤務をしながら、1989年に若い女性向けのファッション誌「MCシスター」にソフトドリンクに関するコラムを初めて書いたのをきっかけに「清涼飲料水評論家」と名乗りはじめました。
1996年から2000年の間、サブカル雑誌「GON!」で「日本一まずいジュースを捜せ!」という読者参加型の飲料試飲ランキング企画を連載して、ほぼ毎月、新しく登場するジュースを読者とともに端から飲んで「まずジュー」と「うまジュー」として紹介していました。
岐阜県養老郡養老町に養老サイダー株式会社が養老の滝の近くから出る菊水泉という水を使用して製造していた養老サイダーの製造販売をやめるというニュースにネット上でも ちょっとした騒ぎになったことをきっかけに
「もしかしたら、なつかしい味がどんどん消えてしまうのでは?」
と、地サイダーについて危機感を感じたそうです。清水りょうこさんは「とにかく養老サイダーを飲んでおきたい!」と思いからメーカーに問い合わせたそうですが、1本もなく、東京の卸し先の店を聞いて出向いて、ようやく飲むことが出来たそうです。
※2000年12月にの製造を中止してミネラルウォーターの「養老霊水」のみの製造しています
養老サイダーの経験から清水りょうこさんは、本腰を入れて各地に昔からあるラムネやサイダーについて調べるようになりましたが、メーカーを一つ一つ訪ねて取材するには費用も時間もかかるため、ライターとして働きながら仕事で会う人全てに声を掛けて回ったそうです。
2002年、地サイダーの連載の声がかかり、佐賀県の2軒のメーカーから取材の承諾を受け取ったところでその雑誌が廃刊になりましたが、2度とチャンスがないかもしれないと考えた清水りょうこさんは
「掲載出来る雑誌がなくなってしまいました。いつとは約束出来ないけれど、必ずどこかで掲載しますから、取材させて下さい」
と、頼み込み取材を敢行しました。
辰巳出版から発刊されている日用の趣味マガジン「ドーラク」から別件で連絡を受けた際、地サイダーの記事の存在を伝えたところ、掲載してもらえることになり、佐賀県の2軒のメーカーの約束を果たしました。
※この時初めて「地サイダー」という言葉を使ったそうです
日用の趣味マガジン「ドーラク」の編集部が作った『日本全国ローカルフード紀行―新名物にうまいもんあります。』に6ページ分のモノクロの記事「がんばれ 地サイダー」を書いたそうです。
すると「がんばれ 地サイダー」を読んだ「AERA」の編集者から2005年に原稿依頼を受けてから2006年にカラー3ページの記事として掲載された頃には地サイダーという呼称は一般に広がりブームになっていきました。
日本のサイダーは黒船来航が起源だった!?
1853年、ペリー提督率いる黒船来航した際に船員の飲物として炭酸飲料が日本に伝来したといわれているそうです。
1868年、日本のサイダーの発祥の地といわれている横浜に外国人居留地で設立されたノース&レー商会が製造販売を始めた、パイナップルとリンゴのフレーバーをつけた炭酸飲料「シャンペン・サイダー」が日本で最初のサイダーとされています。
※「シャンペン・サイダー」は在留外国人向けの商品で上流階級や特権階級以外の一般の日本人が飲むことはできませんでした
1875年、横浜扇町の秋本己之助さんがノース&レー商会に勤める西村甚作さんのアドバイスから「金線サイダー ※」を発売。1899年に登場した王冠を使用した瓶入りが本格的に流通したのは日本最初のサイダーだそうです。
※当初は「日の出鶴」という商品名でしたが1889年に改称
パイナップルとリンゴのフレーバーをつけたシャンペン・サイダーと異なり、パイナップルのフレーバーを使用せずにリンゴのフレーバーのみを使用したことから、シャンペンの名を除いた「サイダー」という商品名にしたとされています。
【補足】
1884年に発売した三ツ矢平野水と1907年に発売した三ツ矢平野水をベースにした三ツ矢サイダーと1897年から1899年頃に発売したの岐阜県養老郡養老町の養老サイダー※も一部で日本初のサイダーとして紹介されるようです
清水りょうこは結婚している?
当時の日本は、公害問題などで将来に対する不安を抱えていたこともあり、1999年7の月に人類が滅亡するという解釈を掲載された『ノストラダムスの大予言』で予言が的中しなければ、入籍をしようと話していた一般男性と1999年8月12日に結婚。
※清水りょうこさん曰く「オモシロ婚」だそうです
地サイダー友の会のメンバー
清水りょうこさんが、地サイダーの取材を本格的にスタートしたのは2002年からだそうで、地サイダーの取材を通して知り合った人達と少しずつ時間がある時に情報交換をするようになりましたが、地サイダーについて本にするという話にならなかったために
「もう、自分たちで作っちゃえばいいや」
と、思い立って情報収集と整理を改めて行う時に協力してくれた人達が地サイダー友の会のメンバーになるそうです。
当初は「地サイダー友の会」という名称はなく、せっかくだから名前をつけようということで「地サイダー愛好会」、「地サイダー趣味人の会」、「地サイダー同好会」、「地サイダーファンクラブ」などが候補に挙がったそうです。
※集まったり、会うことはほとんどなく、実は全員が顔を合わせたこともないそうですが地サイダー友の会は継続しているそうです
公式ブログ:地サイダー友の会
清水りょうこさんが、本腰を入れて地サイダーに取り組もうと思った2000年から現在までの間にも、残念ながらものすごい数の中小のメーカーが廃業してしまっているそうです。