2016年8月27日、日本テレビ系列24時間テレビ39「愛は地球を救う」の今年のテーマは『愛~これが私の生きる道~』では20116年5月18日に脳腫瘍で亡くなられた16歳の作曲家・加藤旭さんが紹介されます。
家族が大好きで作曲の才能に恵まれて10歳までに480曲以上を作曲。13歳の秋頃、脳に4cmほどの脳腫瘍が発見され手術は成功したが中学生の修学旅行中に腫瘍が脳から脊髄へ転移から倒れ、自分の作った曲をなにかに役立てたいという思い1つでと作曲することを諦めずに16年の短い生涯を終えた加藤旭さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。
Wikiより詳しい?加藤旭のプロフィル
出典:
名前:加藤 旭(かとう あさひ)
生年月日:1999年10月10日 – 2016年5月20日
年齢:享年16歳
出身地:滋賀県彦根市(神奈川県足柄上郡大井町 育ち)
血液型:―型
出身高校:栄光学園高等学校
兄妹:加藤 息吹(妹)
父親の康裕さんと母親の希さんの間に生まれた時から身体が弱く、アレルギーやぜんそくがあったそうです。コーヒーのおまけについていたクラシック音楽CDを流していると鼻歌を口ずさんだり、家に母親の希さんのピアノによちよち歩きの頃から鍵盤に精いっぱい指を伸ばして弾こうとしていたそうです。
出典:http://www.print-gakufu.com/
加藤旭さんを見て3歳の頃からピアノ教室に通い始めさせると大人用の椅子に座っていつまでもピアノを弾き、楽譜を見真似て画用紙に音符をお絵描きしたそうですが、譜面の音符などすぐに理解していきました。
※両親は音楽関係者ではないそうです
誰にも作曲の手法を学ばずに4歳で頭の中にメロディーが流れていて、4歳5カ月の頃に「あめあめふったふった」というタイトルと音符を書き込んだ楽譜を母親の希さんに見せて
「弾いてみて。ファはシャープにしてね」と言われた。希さんが弾くとト長調の曲になった。「旭が弾いてほしかったのと同じメロディー?」と聞くと、満面の笑みで「うん」とうなずいた。ファを半音上げれば、たしかに「雨がふってきたようなかわいらしいメロディーになって、楽しくなりました」と希さんは振り返る。
http://mainichi.jp/から引用
加藤旭さんは6歳から9歳まで東京交響楽団などが主催するポスターに使うイラスト、テーマ曲、ソリストまでの全てを子どもから募集する参加型「こども定期演奏会」に応募し、6歳の時の「たのしいようちえん」、9歳の時の「おもちゃの兵隊」がテーマ曲に選ばれました。
※編曲家の長山善洋さんがオーケストラ用に編曲して、指揮者の大友直人さんがサントリーホールで演奏しています
作曲が楽しくて仕方なかったようで遊び感覚で楽譜を書き始めて頭に浮かんだメロディーをいつでも書けるように五線譜を持ち歩き、メロディーが浮かぶとご飯も忘れて夢中で書きとめ続けた結果、10歳までに約480曲を作曲したそうです。
加藤旭さんは、小学校高学年の受験勉強や中学校に入学してからは勉強とバドミントンの部活動に夢中になり、作曲から一時遠ざかっていました。
※中学入学後から昭和音大准教授の三谷 温さんからピアノを師事
2013年10月初旬頃から頭痛を訴え出したのですが、持病のぜんそくと思っていたそうですが、頭痛は勉強を妨げるほど強くなるため加藤旭さんは
「病院へ行く」
と、母親の希さんに携帯メールで伝えから神奈川県鎌倉市の自宅近くの脳神経外科を受診したところMRI(磁気共鳴画像化装置)にはっきりと脳腫瘍が確認されました。
脳腫瘍が確認された2週間後に東海大医学部付属病院で11時間に及ぶ手術を受け、側頭葉から腫瘍を摘出しましたが、1年も経たないうちに2014年8月に再発が確認されました。
2回目の手術では小脳からの摘出手術後に受けたMRI(磁気共鳴画像化装置)で脊髄にも腫瘍が転移していることがわかり、2014年11月から抗がん剤治療を始めました。
2015年2月下旬から4月上旬までは放射線治療を受けるため入院の最中、放射線治療に伴う頭痛や嘔吐、倦怠感などに耐えながら乗り切った日をカレンダーに斜線を引き、闘病のつらさから「苦しい」、「気持ちが悪い」といった言葉が手帳に並んでいたそうです。
記憶が途切れ出すようになり、また目が見えにくくなっていくなかで加藤旭さんは
「僕がいる意味って何だろう」
と、闘病生活に自問自答するうちに、治療を続けてくれる主治医と看護師、応援してくれる家族や友人、学校の先生などから支えられている確かなことが1つあったことに「僕も誰かの役に立ちたい!!」という思いが芽生えたそうです。
「僕も誰かの役に立ちたい!!」という思いに妹の息吹さんが
「お兄ちゃんの作曲を生かそう」
と、加藤旭さんの書きとめていた曲のCD化を提案し、入院十数日目に母親の希さんから「願い事を書いてみて」と言われた手帳には「make a wishi(願い事をする)」と書かれたページの冒頭に
「自分の作った曲を何かに役立てたい」
と、初めて前向きな言葉が書き込まれた瞬間でした。そして両親は手紙で加藤旭さんの状態とCD化について相談された中学入学後からピアノを教えいた昭和音大准教授の三谷温さんが即座に演奏と録音を引き受けました。
放射線治療から2015年5月に5~10歳の27作品を収めた1stアルバム『光のこうしん』が完成し、昭和音大准教授の三谷温さんから加藤旭さんへの贈呈式も開かれました。
※加藤旭さんは食欲も減退して体重が10kg落ち、可動式のベッドに横たわり、ほとんど上体を起こせない状態だったそうです
加藤旭さんは幼少時に遊びで作った曲をCD化されたことに価値があるのかという不安からなのか
「CDは病気や障害がある小さな子どもの家族に聴いてもらいたいです。それで、どうなるか分かりませんが」
http://mainichi.jp/から引用
と、慎重な言い方をしたそうです。
すると、昭和音大准教授の三谷温さんが代表理事を務める音楽活動団体「アーツスプレッド」などに
「希望を持ちながら病気と闘う子どもたちの顔が目に浮かぶ」
「身内にいる重度身障者の子に響いてほしいのでCDを買いたい」
「悪性腫瘍の手術をした小学生の娘に聴かせたい」
といったファクスやメールが次々と寄せられ、再び音楽に心を向けた加藤旭さんの体調も家族と食事を一緒にできるぐらいに上向きになり、キーボードに毎日触れるようになり、音楽を奏でる楽しさを思い出していきました。
2015年8月末、加藤旭さんの頭の中に切ないメロディーが流れたそうです。その頃には視力をほぼ失っていたため五線譜に記せなかったそうですが、メロディーをキーボードで弾いた姿を撮影して母親の希さんがパソコン上で音符に変換できるソフトで細部を整えて楽譜にしたそうです。
2015年10月6日の夜に母親の希さんに加藤旭さんは
「視覚障害者としての覚悟ができたと言ったけれど、そんなものはできていなかった。明るい世界が恋しい。光のある世界への憧れを捨てきれない。お母さんの顔だって見たい」
http://mainichi.jp/から引用
と、とめどなく涙がこぼれ落ちながら言った瞬間に浮かんでいた短調の旋律から、明るい長調へ橋渡しをする部分の新たなメロディーが生まれました。翌朝から母親の希さんと一緒に楽譜の入力作業に取りかかり、普段は30分も座っていると下半身に痛みが出ていた加藤旭さんは2時間も推敲していたそうです。
そして5日後の2015年10月12日、「僕と同じような方が曲を聴いた時、暗いところから明るいところに向かってほしい、暗闇から一筋の光が見えてきたようなイメージ」で作曲した「A ray of light(邦題:一筋の希望)」が完成しました。
放射線治療後には「全然浮かんでこないんです。『作曲の力』って小さい頃で止まったのかな」と言っていた加藤旭さんは闘病生活のつらさと不安に打ち勝とうとする意志の強さからなのか作曲の力を取り戻していました。
1stアルバム『光のこうしん』に収録曲されている「くじらぐも」※は合唱団から歌いたいという声が寄せられて2015年8月に合唱用の楽譜が発刊されました。
※児童文学作家の中川李枝子さん「くじらぐも」をモチーフにした曲
2015年11月、「こども定期演奏会」の縁で知り合った指揮者の大友直人さんと昭和音大准教授の三谷温さんの企画で若手の作曲家・熊倉優さんがバイオリン、ピアノ、弦楽オーケストラの合奏曲にアレンジして東京・銀座のヤマハホールでCDの収録曲がオーケストラ演奏されました。
2015年11月に木管三重奏「湖のほとり」、2015年12月にピアノ曲「船旅」を完成させました。
2015年12月31日、加藤旭さんは日記帳代わりにしていた携帯に
「今年は、いろいろなことがあったが、たくさんの方々に支えていただき、どれだけ苦しいことでも乗り切ることができた。これからも、目の前に立ちはだかるどれだけ高い壁にもめげず、一歩一歩でもいいので、前へ進んでいきたい」
http://mainichi.jp/から引用
と記した2016年1月2日に痙攣を起こして意識を失い自宅近くの総合病院に運ばれ、5回の痙攣発作で入退院を繰り返したそうですが、病状は悪化していたそうですが自宅療養に戻ってからも「誰かの心に響いたり、何かの役に立ったりすることが曲作りの目標」と言ってキーボードに向かっていたそうです。
2016年3月半ば、いつ呼吸が止まってもおかしくないギリギリの状態のなか2ndアルバム「光のみずうみ」の製作に取りかかったそうです。
2016年5月初旬、点滴をつなぎ、鼻から酸素を入れて会話もままならない状態の中で
「意識も朦朧としているはずなのに、両手をゆっくりと鍵盤に乗せ、愛おしそうに鍵盤を押しました。もう上半身の自由は奪われ、手にほとんど力は入らない状態です。指先に、体すべての力を気迫で集めているようでありながら、鍵盤に触れる手の動きはいつもの彼らしくエレガントに見えました。極限状態であっても音楽を愛している旭の姿に、家族は圧倒され、言葉を失い、見守りました」
http://mit-on.com/から引用
と、母親の希さんが語られています。
2ndアルバム「光のみずうみ」の入稿日の2016年5月18日、加藤旭さんは入稿を見届けてから2日後・・・
加藤旭さんは、「船旅」という自作ピアノ曲を聴きながら、「じゃあ行くね」と自分で旅立ちを決めたような表情で亡くなられたそうです。
今頃旭は自由に走り回り、以前のように手書きで音符を記している気がします。そして、旭を知ってくださった皆様、応援してくださった皆様の中で、生き続けてくれるよう感じています。旭の音楽が種となり、どこかで思わぬ芽を出してくれるかな、と想像したりもします。皆様とのご縁から生まれる、あらゆる可能性を信じたいと思っております。
http://mit-on.com/から引用
と、母親の希さん愛息への思いられています。全文についてはhttp://mit-on.com/concert/%E3%80%90%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B%E3%80%91/#more-3185をご覧下さい。
2016年5月23日の通夜には栄光学園高等学校の同級生や音楽関係者ら約180人が参列し、会場には幼少時代から書きためた五線譜が飾られ、加藤旭さんが作詞作曲した「くじらぐも」がハープで生演奏されました。
2016年6月5日、東京・銀座のヤマハホールで加藤旭さんにピアノを教えた昭和音楽大学教授の三谷温さんが代表理事を務める音楽活動団体「アーツスプレッド」が主催しました。
加藤 旭の情景 〜幼少期のピアノ作品集〜
1stアルバム『光のこうしん』
作曲:加藤 旭
ピアノ:三谷 温
定価:2,000円(税込)
CD題字とジャケット写真は作曲者加藤旭さん本人によるものだそうです。(題字:2005年7月6日(5歳)、ジャケット写真:2014年4月5日(14歳・中2) )
撮影場所:座間谷戸山公園
※CD売上の一部は、難病で苦しむ子供たちに寄付されているそうです
収録曲
1. 光のこうしん
2. 雪のけっしょう
3. 空のくも
4. 海どりたち
5. くじらぐも
6. 雨にぬれたなのはな
7. はるの川
8. 広い草原
9. 草原のどうぶつたち
10. どうぶつのかり
11. しずかな川の流れ
12. よるの森
13. 夜かってにうごき出したおもちゃ
14. 静かな湖
15. おどる人形
16. ロボット
17. 生き物のいない世界
18. はげしい雨
19. にじ
20. 兄だいのおしゃべり
21. 山の春
22. おもちゃの兵隊
23. きれいな夕やけ
24. 左右対称
25. 山の小川
26. 初冬の一人旅
27. 楽しい曲
森の小鳥 夜の森序曲
おもちゃの兵隊
光のこうしん、夜かってにうごき出したおもちゃ
くじらぐも
2ndアルバム『光のみずうみ』
作曲:加藤 旭(Asahi Kato)
演奏:三谷 温 (ピアノ)、高梨 真実 (ヴァイオリン)、花岡 萌実 (ヴァイオリン)、トリオ・サンクァンシュ (木管三重奏)、福島県郡山市立朝日が丘小学校特設合唱部、アーツ室内オーケストラ
定価:2,000円(税込)
※CD売上の一部は、難病で苦しむ子供たちに寄付されているそうです
収録曲
16歳の作品 ─Piano、Woodwind trio─
1. 船旅
2. 湖のほとり
7~8歳の作品 ─Violin duo─
3. スカイサイクル
4. 滝からの水しぶき
5~6歳の作品 ─Piano─
5. 春の原っぱ
6. しずかな春の夜
7. さくらんぼのみがなったよ
8. 空の青いとり
9. びわこ
10. ほしがきらきら
11. さむいふゆ
12. ゆきがとけるとき
13. おやゆびのうずまきもよう
「光のこうしんより」 8~10歳の作品─Piano─
14. きれいなゆうやけ
15. 静かな湖
16. にじ
17. 初冬の一人旅
アレンジ作品
18. 空を見上げて ~With the Sky~ (アーツ室内オーケストラ銀座定期演奏会Ⅳより)
(指揮:大友 直人、ピアノ:三谷 温、ヴァイオリン:ルツ・レスコヴィッツ)
合唱作品
19. くじらぐも(合唱・福島県郡山市立朝日が丘小学校特設合唱部)