2016年9月17日、日本テレビ系列『世界一受けたい授業』では「常識を覆した奇跡の実話SP」をテーマに福岡の精華女子高校の吹奏楽部で35年間顧問を引退後、ほぼ無名の高校だった活水高等学校に着任してわずか5ヶ月で金賞を受賞して九州代表選ばれた吹奏楽界に衝撃をもたらした藤重佳久さんが出演です。
常識にとらわれない奇跡の指導法や表現力をつけるために代わった練習方法などを含めて藤重佳久さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。
Wikiより詳しい?藤重佳久のプロフィール
出典:
名前:藤重 佳久(ふじしげ よしひさ)
生年月日:
出身地:福岡県久留米市
血液型:A型
出身高校:福岡大学附属大濠高等学校
最終学歴:武蔵野音楽大学音楽学部器楽科
Facebook:https://www.facebook.com/yoshihisa.fujishige/
著書
2013年6月24日発売 『なぜ彼らは金賞をとれるのか ~10人の吹奏楽指導者が語る強さの秘密~』
中学時代に吹奏楽部に入部してから福岡大付属大濠高校1年生の時には、曲を完成させるまで練習を積んでホルンで全日本吹奏楽コンクールに出場した際に自分たちの演奏に感動したのがきっかけで音楽で生きていこう武蔵野音大音楽学部器楽科に進学しました。
※ホルンは三好隆三さん、田中正大さん、H.ブラーデルさん、大野義男さんから師事
武蔵野音大音楽学部器楽科を卒業後は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団でホルン奏者となり、演奏依頼も多く順風満帆に見られたそうですが、英才教育を受けたプロの奏者と渡り合うプレッシャーが大きくのしかかっていたそうです。
プレッシャーが大きくのしかかっていた時に高校時代の指導者から「精華女子を吹奏楽で盛り上げないか」と誘われて音楽が続けられると思いから大学時代に何となく取得していた教員免許が役に立ち、1979年から福岡県・精華女子高等学校の音楽教諭として赴任しました。
1980年から精華女子高で吹奏楽の顧問を務めた時の生徒は5人だったそうです。技術を教え込もうと基礎練習を繰り返して藤重佳久さん自身が受けてきた専門的な音楽教育で教えようとしたせいか生徒はついてきませんでした。
1988年、アメリカの高校生を対象に発展した「わかりやすく楽しく、目標を共有する」というマーチングの方法論のマーチングの講習会を受けてから練習方法が変わり、吹奏楽部の生徒も少しずつ変わっていき、1990年に初めて全日本吹奏楽コンクールに出場を果たしました。
2000年頃からは「真似では本物を越えられない。自分たちにあった曲、やりたい曲をやろう」と強豪校を研究して同じ曲を同じように演奏することをやめ、精華サウンドが作り上げていきました。
2008年に全日本吹奏楽連盟より長年出場指揮者表彰を受賞。福岡県立私立学校教育功労者表彰されました。
2009年、文部科学大臣優秀教育表彰されました。
藤重佳久さんは、生徒一人一人の良さを引き出すことを目指し、全国区の強豪校に育て上げ、全日本吹奏楽コンクールは出場20回で金賞10回、銀賞9回。全日本マーチングコンテストは出場16回すべて金賞、海外大会で世界一という結果を残しました。
※藤重佳久さんは、休日も返上して朝夕合わせて4時間半 ほぼ毎日、練習に付き合っていたそうです
藤重佳久さんと吹奏楽部の生徒たちの活動内容と演奏を動画でご覧下さい
精華女子 2014全日本吹奏楽コンクール金への道~華麗なる舞曲~
精華女子高等学校吹奏楽部 2014年 クレッシェンド~ブラバン少女たちの挑戦~ ①
精華女子高等学校吹奏楽部 2014年 クレッシェンド~ブラバン少女たちの挑戦~ ②
精華女子高等学校吹奏楽部 2014年 クレッシェンド~ブラバン少女たちの挑戦~ ③
精華女子高等学校吹奏楽部 2014年 クレッシェンド~ブラバン少女たちの挑戦~ ④
2015年3月に定年で精華女子高等学校を辞めてから、同年4月からに長崎県の活水女子大学音楽学部特任教授として着任し、活水中学校・高等学校の吹奏楽部 音楽監督になりました。
2015年8月23日、熊本県立劇場で開催された第60回 九州吹奏楽コンクール(高校の部)では課題曲『マーチ「春の道を歩こう」』、自由曲『ルイ・ブルジョアの讃歌による変奏曲』を演奏して、わずか4ヶ月で活水吹奏楽部を九州の代表校に育て上げ、全国大会に導きました。
※活水中学校・高等学校は2014年から吹奏楽部と名称変更しています
出典:http://arusui.net/