2017年4月14日、日本テレビ系列『沸騰ワード10』では「グルメの変態さん&取材NG解禁SP」をテーマにこれまで取材NGだったエンターテインメント焼肉「クロッサムモリタ」の謎に迫ります。
クロッサムモリタの会員制とミートキープシステム、予約7年待ちという理由から予約方法や会員になる方法など経営者の森田隼人さんについて当たり障りなく紹介してみたいと思います。
WIKIより詳しい?森田隼人のプロフィールと経歴・学歴
出典:http://qreators.jp/
名前:森田 隼人(もりた はやと)
生年月日:1978年7月15日
出身地:大阪府
血液型:―型
身長:182cm
体重:―kg
出身高校:近畿大学附属高等学校
最終学歴:近畿大学 理工学部
経営する店舗:「六花界」「初花一家」「吟花」「五色桜」
一級建築士で剣道にも精通した父親の影響から子どもの頃から少林寺をはじめ、水泳、空手、ボーイスカウトにも参加してリーダーを務めいていたそうです。
6歳の誕生日に父親から「財産も、地位も、会社も何にも渡さん。せやけど、おまえが20歳になった時、独りで生きていけるような知識と経験と教養はつけさせてやる」と言われました。
近畿大学附属高等学校に進学したときにはボクシングを始め、森田隼人さんは高校生でも晩ご飯は19時に家族全員(父親。母親、妹)が食卓に揃わないと始まらないほどスパルタ教育のもとで育ち、今でも父親に対して敬語を使っているそうです。
反抗期と父親に勝ちたいという思いからボクシングを極めようと学校のクラブ以外にジムに通い、182cm、60kgでスーパーフェザー級だった森田隼人さんの初めての対戦相手が日本ランキング3位でコテンパンにされてしまったそうです。
高校生になってもお小遣いを貰ったことがなかった森田隼人さんは、覚悟を決めて父親に(友達はお小遣いを貰っていると婉曲に伝えるために)学校でパチンコが流行っているって話をするとパチンコ店に連れられて1万円を渡され、5分程で使い切って父親から「ええか、これがギャンブルや」と教えられたそうです。
※ギャンブルは後にも先にも、この時だけだそうです
その後NPO法人診断士協会を買収し、商店街活性事業と街路面整備をリンク。リサイクル事業を広げ「デジタルドレスデザイン事務所」設立
飲食店のスタートは2009年7月。神田のガード下に「六花界」をオープン。TV・雑誌などメディアにも多数取り上げられるほどの人気店に。その後、会員制肉割烹「初花一家」をはじめ、会員制肉懐石「吟花」、会員制焼肉バル「五色桜」など、肉と日本酒をテーマに会員制の店舗をオープン
高校卒業後、近畿大学理工学部に入学した森田隼人さんに対して父親は400万円を差し出して「これで4年間遊んでこい 代わりに、せこいアルバイトはするな」と言われたが、しばらく経ってから森田隼人さんはアルバイトをしたいと直訴しました。
父親からアルバイトをしてもいい条件として「時給1000円以下では働くな」と提示され、探し出したアルバイトは家庭教師で時給1300円でした。教えられた子どもたちはぐんぐん成績を上げて5000円まで跳ね上がったそうです。
ボクシングではJBCプロボクシングライセンスを取得し、家庭教師と遊びもしながら大学卒業後には父親に負けたくないという気持ちから父親と同じ建築関係の区画整備などを手がける会社に就職しました。
- 土地区画整理士
- 一級土木施工管理技師
- 測量士
- 1級建築士
の4つの資格を取得して、3年後の25歳の時にはデザイン事務所「m-crome」を設立し、幼少時代に父親に言われていた「独りで生きていけるような知識と経験と教養はつけさせてやる」というプレゼントは起業という花を咲かせた。
27歳の時にはリサイクル事業を立ち上げたが、アメリカの投資銀行のリーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに「リーマン・ショック」に見舞われてしまいました。
大阪から東京へ進出をした時には用意した資金が底をつきそうになっていたが、森田隼人さんが東京で通っていたジムの会長に声をかけられて食事に誘われた事を非常に感謝しているそうです。
森田隼人にはもう1人の父親が存在した
「店に入るなり、餃子にチャーハン、肉に、野菜に、最後にはメニューを端からもってきてくれ、っていうんです。目の前にはすぐに料理の山ができました。ありがたくって、黙々と食べていたんですが、会長はほとんど手をつけないので、さすがに1人で全部は食べきれません。会長もう食えません」と森田が弱音を吐くと「バカヤロー、だからてめぇはボクシングが弱いんだ。食わねぇと、元気もでねぇ」。さぁ、食え、やれ、食え、と
「いくら会長に言われたって、人間、限界ってものがあるわけです(笑)。それで会長に『もうホントに食えません』というと、『そうかって』、今度は笑って、ウェイトレスを呼ぶんです。『ねぇちゃん申し訳ないが、食えねぇって言うもんだから包んでやってくれ』って」。
「残りものは、まだ山のようにありました。すべて、私の明日の飯替わりです。それに気づいた時、私は、この人にどんな風に感謝すればいいか、と思ったものです。しかし、この日だけではありませんでした。なんと、会長は1ヵ月も私を誘いつづけてくださったんです」
経済的な支えだけではなかった。それ以上に心の支えになった。もう1人の父であり、もう1人の恩人の話である。「オレに恩を感じるな。お前を慕う奴が、おなじようになった時に、そいつの面倒をみてやればそれでいい」
http://in-shoku.info/から引用
プロボクサー時代に減量などで辛い時に一番のご馳走だった焼肉を使って飲食店を起業しよう動きだし、2009年7月15日、神田のガード下にある2.2坪の場所に「六花界」という立ち食い焼肉店をオープン。
「みんなで仲良く食事が出来るように」と「爆笑 3回取るまで帰らすな」と「日本酒と肉」といった独自の接客方法と独自の肉の仕入れルートも確立して「安さ 旨さ」を確立させました。
※店舗が狭くてハイボール等を置くことができず日本酒を置くようになった。飲食店を起業したきっかけは人脈を作りたかったからだそうです
その後は
- 初花一家(はつはな)※日本一予約が取れないお店といわれている
- 吟花(ぎんか)
- 五色桜(ごしきざくら)
極(きわみ)※信憑性が低い
をオープンさせています。
(2017年4月時点)
森田隼人が焼肉業界史上初のクラウドファンディングで世界初「日本酒吟醸熟成肉」と「ミートキープ」のシステム 最高峰の劇場型焼肉クロッサムモリタについてはPages2へ