2016年10月10日、日本テレビ系列『明石家さんまの転職DE天職3時間SP 第5弾』では転職したら収入(年収)が上がって幸せかどうか20人の転職人生を徹底調査した中に美人OLからねぶた師史上初の女性ねぶた師に転職した北村麻子さんが出演です。
独り立ちに最低10年といわれているねぶた師を4年目でデビュー作「琢鹿(たくろく)の戦い」が優秀制作者賞を初出場で受賞して注目を集め、史上初の女性ねぶた師であり現在は1児(長女)の母親になっても活躍している北村麻子さんの年収も含めて当たり障りなく紹介してみたいと思います。
Wikiより詳しい?北村麻子のプロフィール
出典:http://www.ak-nebuta.com/
名前:北村 麻子(きたむら あさこ)
生年月日:1982年??月??日
出身地:青森県
血液型:―型
出身高校:―
職業:ねぶた制作者(300年の歴史の中で史上初の女性ねぶた師)
受賞歴
2012年 「琢鹿(たくろく)の戦い」 優秀制作者賞を受賞
2015年 「平将門と執金剛神」 優秀制作者賞・観光コンベンション賞 受賞
2016年 「陰陽師妖怪退治」 優秀制作者賞・商工会議所会頭賞 受賞
青森ねぶた祭は東北三大祭りの一つに数えられ、主役ともいえる巨大な灯篭型の山車「ねぶた」は国内外で芸術的な観点で高い評価を得ています。
幼い頃は、平成の名人と称されて第6代名人位をもつ ねぶた師で父親の北村隆さんのねぶた小屋を訪れていたが、兄やいとこ(男性)は色付けもさせてもらえたのに北村麻子さんが手伝えたのは紙貼りだけで、ねぶた師を目指すつもりは全くありませんでした。
高校卒業後は巫女さんとして就職しましたが、厳しい仕来りに嫌気がさして3ヶ月で辞めてしまいました。20歳の時はアパレル店員、23歳の時にはサービス業、27歳の時にOLと転々と職を渡り歩いていました。
2007年、父親の北村隆さんが制作した大型ねぶた「聖人聖徳太子」が、ねぶた大賞を受賞した時に父親の生き様や想いがそこに映し出されている気がして心を大きく動かされてから弟子入りをするために見よう見まねで下絵を何枚も何枚も描いて父親の北村隆さんに見せ続け、3~4ヶ月試行錯誤して描いた下絵を父親の北村隆さんに見せたところ、「直すところが何もない」とビックリしたそうです。父親の北村隆さんは心の中で「これから、ねぶた にいけるんじゃないか」と思ったそうです。
出典:http://39campus.jp/
(試行錯誤して描いた下絵)
2008年、父親の北村隆さんから色の塗り方や全体のバランスなどいくつか教えてもらえるようになったが、ねぶた小屋では、まったく見向きもされず、周りをうろうろするだけでした。2~3年目になって骨組みの制作現場などに入れるようになっても指導も指示はなく、父親の北村隆さんや先輩の作業の内容をノートに書きとめて、いつ声がかかってもいいように準備をしていたそうです。
2010年、ねぶた師を目指してから3年が過ぎた頃にスタッフで終わらないためには何をすればいいのか考えていた時に、ねぶた師の弟子の中から5人が選ばれて制作する小型ねぶた※の挑戦を父親の北村隆さんの推薦もあり参加しました。
※小型ねぶたのサイズは横幅2m、奥行き1.5m、高さ1.5m程度
展示された5台の小型ねぶたの中で北村麻子さんの出来が一番良くなかったようで、悔しくて泣いて帰ったそうです。同じ年に制作した前ねぶたの「大国主命 因幡の白兎」が評価を受けて「大型ねぶた」の制作依頼が舞い込みましたが、当初は父親の北村隆さん「3年早い」と断りました。
しかし、青森市民ねぶた実行委員会は北村麻子さんの成長ぶりと北村麻子さん自身が挑戦したい(やりたい)という言葉を得たことで父親の北村隆さん説き伏せ、大型ねぶた「琢鹿(たくろく)の戦い」で2012年の優秀制作者賞を受賞しました。
※新人の受賞は異例で父親の北村隆さんは受賞を逃して「麻子に負けた」と言ったそうです
2012年に年下の一般男性と結婚。
2015年10月、第一子(長女)を出産しました。
北村麻子が、妊娠出産とねぶた制作を具体的に語っている動画をご覧下さい。