読売テレビ制作・日本テレビ系列『~両親ラブストーリー~ オヤコイ』では、芸能人の両親の出会いと恋愛を徹底取材を行いドラマ化して明かすバラエティーにつるの剛士さんの両親の恋愛物語「年下の男の子」と父親の靏野貞雄さんが母親に20歳の誕生日にオリジナル楽譜をプレゼントした曲が披露されます。
女優の松岡茉優さんと加藤浩次さんがMCを務め、つるの剛士さんの両親の恋愛物語「年下の男の子」には、「魔女の宅急便」の小芝風花さんと「仮面ライダービルド」の赤楚衛二さん、濱田マリさんが演じるつるの剛士さんの両親の物語「年下の男の子」について当たり障りなく紹介してみたいと思います。
つるの剛士の両親のラブストーリー「年下の男の子」
1968年 福岡県北九州市門司
靏野貞雄さんと出会ったのは、卒業半年後に控えたある日のことでした。
ギター部に所属していた高校2年生の靏野貞雄さんは、先生に頼まれていた楽譜を渡した事をきっかけに生徒会に所属していた賀来令子さんと出会いました。
文化祭に高校最後に一人でたてぶえ演奏をしようとしていた賀来令子さんと一緒にステージに立つために音楽室で練習をしていました。
賀来令子さんは、高校卒業後は銀行に就職が決めており、24歳には結婚をしたいことを靏野貞雄さんに話して、好きな人がいるのか聞いていたそうです。
そして、文化祭のステージは無事成功して半年後・・・
高校卒業してから賀来令子さんは、銀行員として働いていた賀来令子さんに文化祭の写真を渡すために靏野貞雄さんは勤務先まで出向いたそうです。すると
賀来令子「わざわざ、ありがとう!でも現像に半年もかかるなんて何処の写真屋?」
靏野貞雄「いや、そういうわけじゃ・・・」
賀来令子「冗談だよ」
靏野貞雄「あの・・・もし良かったら今度、僕とデートしてくれませんか?」
靏野貞雄さんからアプローチをして初めてのデートでは、お互いが弁当を作ってそうです。それから、2人は付き合うことに。
2人の交際を見てしまった賀来令子さんの母親・敏子さんに高校生と付き合っている事を突き止められ「年下の・・・ましてや高校生なんてお母さん絶対に認めないからね」と大反対されていました。
当時は携帯電話はなく、自宅の電話で長電話をしていると・・・
母親・敏子「その靏野って子 高校生のくせに毎晩電話してきてどういうつもりなの 明日学校に連絡して親御さんからやめてもらうように言ってもらうから」
と、厳しく言われた賀来令子さんは、靏野貞雄さんに「高校生だから・・・もう会えない」と告げると靏野貞雄さんは「そっか・・・」と言っただけで2人は、それ以来会うことはありませんでした。
そして半年後・・・
高校卒業した靏野貞雄さんは、賀来令子さんの勤務先に高校生ではなく銀行員になったことを伝えて、再び付き合うことになりました。
賀来令子さんの20歳の誕生日に靏野貞雄さんは、オリジナル楽譜をプレゼントしたのですが、歌詞はありませんでした。
歌詞は賀来令子さんにお願いし、楽譜を貰うのは初めて会った時みたいだったと思い返した賀来令子さんに靏野貞雄さんは「多分、この人と結婚すんだろうなって思った」と言われました。
30分ほどの帰り道を何往復もして3時間以上行ったり来たりして路地裏で暗くなったところでファーストキスして「おやすみ」と言って靏野貞雄さんは、逃げるように帰ってしまいました。
その後も靏野貞雄さんと賀来令子さんは、順調に交際を続けていられると信じていたある日・・・
靏野貞雄さんは、賀来令子さんがいない時に実家に訪れて母親・敏子さんと出会いました。
靏野貞雄「令子さんは、ご在宅でしょうか?」
母親・敏子「娘に何かご用ですか?用件があるなら伝えておきますけど。電話かけてもらわれると迷惑なんで。で?ご用件は?」
靏野貞雄「埼玉の川口市に転勤が決まりました」
母親・敏子「おめでとう。栄転じゃない!良かったわね」
と、埼玉県との距離は、2人の関係を揺るがすのに十分過ぎる距離だと母親・敏子さんは喜んでいたのかもしれません。
それから、靏野貞雄さんは毎日手紙を書いて週に1度、速達で届けていましたが、年下の男と付き合うと苦労するだけと反対を続ける母親・敏子さんからお見合いを進められるようになり、銀行員の先輩から真剣な交際を告げられたりしたそうです。
どんなに反対されても私たちの気持ちは変わらないと強がってみても会えない日々に賀来令子さんは、不安を募らせていたそうです。
不安を募らせて今にも倒れそうな賀来令子さんを見かねたのか母親・敏子さんが週に1度速達で届けられる手紙を持って賀来令子さんの部屋に来た時のことです。
母親・敏子「令子、入るわよ・・・そのうち、手紙で床が抜けるわね。鶴野くんにこれで最後にするように言っときなさい」
母親・敏子「娘はあんたにあげるからって」
ついに母親・敏子さんから許しがもらえて、まもなくして2人は結婚することに。
そして、賀来令子さんが実家を出る時に母親・敏子さんが
母親・敏子「娘をよろしくお願いします」
靏野貞雄「はい」
つるの剛士の両親のラブストーリー「年下の男の子」が終わった後、実際に文通していた手紙や20歳の誕生日にプレゼントしたオリジナル楽譜が披露され、楽譜には歌詞が付いていました。
他にも、つるの剛士さんが生まれてから賀来令子さんが授乳中に靏野貞雄さんは「俺のおっぱいだから返してくれ」と言った事を明かされると、つるの剛士さん自身も妻に言っていたそうです。
遺伝とは恐ろしいですね(笑)
最後、が48年の時を経て作曲・靏野貞雄、作詞・賀来令子で「あなたとわたし」をつるの剛士さんが歌いました。
冬の日の太陽のような しあわせが
そよ風の口笛にのってやって来た
青空に声をあげ 思い切り叫びたい